Sunday, May 21, 2006

メタ文献学としてのTEI (2)

情報歴史学研究室: メタ文献学としてのTEI (1)の続き。

土屋先生の問題提起は非常に重要だと思うが、歴史的な(文献学外の)問題や、日本語の問題にのみ還元するのは無理があるように思う。特に、「日本語の文書は「構造化」されていない」から、という理由付けは、 日本文学以外にも日本人がやっている文献学はたくさんあるわけで、理由になっていないのではないだろうか。

とは言え、本質的な問題はどこにあるのだ?お前は答えられるのか?と問われると、非常に難しい。

ぱっと思いつくところでは、辞書(字書、事典など)の位置づけに関係しているのではないかという気がしている。(門外漢であることを棚に上げて言うと)欧米の文献学においては、長大な時間をかけて辞書を作るという伝統がある。日本では、いくつか大きな辞書、辞典はあるが、何世代にもわたって作り続けられるというものはない。

辞書作りというのは、単語などの文献や文脈を超えた共通性を見いだす作業である。TEIにおけるマークアップというのは、(乱暴に言えば)文献を超えた共通の文書構造を見いだし、文書中の単語に文脈を超えてIDをふるという行為だと言えるが、これは辞書作りに似ていると思われる。私は以前、「Unicodeのcharacter概念について」という論文の中で、ドレイファス氏が批判した、「道徳的、知的、実際的な不明確さを取り除く」ことを目標とした結果、世界は離散的要素に分析可能であるとの結論に至る「西洋文化に埋め込まれた哲学的伝統」や、デリダ師が批判した西洋哲学の音声中心主義=ロゴス中心主義と関連させて、辞書の「形而上学」について論じたことがあるが、TEIも同じように「西洋文化に埋め込まれた哲学的伝統」の延長線上に位置づけることができるだろう。

一方、日本の文献学における辞書の位置づけはどうだろうか。諸橋大漢和など、日本にも世界に誇る辞書はあるが、辞書や辞書作りはあまり重視されていないように思われる。このあたりが、TEIの活動への不理解へとつながっているような印象もある。

(続く...)

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